Monology

書きたい時に書きたい事を 書きたいだけ書く

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2008.09.24 :: ねぎまの真実&家庭内英会話

「ねぎま」の"ま"は「まぐろ」の"ま"というのが本当は正しいらしい、という事を10月4日の六本木EDGEでライブをする、「木の葉の会」のメンバーが教えてくれた。アルトorソプラノとトロンボーンの2管で、私にとっては初の編成なので、ドキドキする。リハに2回しか参加できておらず、最終リハまでに練習時間をちゃんと取れなかったので、これから本番までのラストスパートで頑張る。

そういえば、先日から家庭内英会話教室をスタートさせた。レッスン時間は1日1〜3分。
I will take a shower.(わたしはシャワーを浴びます)
I took a shower.(わたしはシャワーを浴びました)
What are you doing?(何をしているの?)
Can't you see?(見て分からないの?)

相方が今回の家庭内英会話で覚えた文章はこんな感じかな?過去にvending machine(自動販売機)とIt's up to you(あなた次第です)を教えこんでいるわけだが、少しずつボキャブラリーを増やして行って、ペラペラになって欲しいものだ。

そして、いよいよ明日からは台北旅行!Yes!!! 仲良くなったキッカケが中学の時の大喧嘩やったという、大阪府在住のM川さんとは、意外にもこれが初めての旅行。現地での待ち合わせ、果たして上手く行くかしらん

2008.09.19 :: ムムムムム〜

私が時間を掛けてやった仕事を、「私がやりました」と別の人が上の人に密かに言うてた。気分悪いなぁー。そんな人やとは思ってなかったから余計に。この気持ちをどう処理すれば良いのか・・・。どう、前向きに捉えようかなぁ。自棄食いだけは絶対にせんとこう。
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(数時間後)
処理できた。前向きに捉えられた。
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(さらに数時間後 23:40現在)
もう完璧大丈夫になった。単純な性格でよかった。自棄食いはしてへん。

2008.09.17 :: パラリン

パラリンピックも終わってしまった。今回は、ボッチャが意外にも面白かった。私から見ると、思うままに動かすのは難しいんちゃうかな?という位の障害を持ってる人が、完璧にボールをコントロールしていて、ビックリした。昔、生まれつき片足がない人の講演を聞いた時に「僕にとって、片足なのは当たり前なので不自由だとは思ったことはない」と言うてたのを思い出した。

それにしても、競技人口が少ないからか、何か区別してるからか知らんけど、オリンピックと比べてパラリンピックは相変わらずメディアの扱いが違いすぎる。特に民放・・・。24時間テレビで、いわゆる障害者を取り上げて「感動」とか「勇気」とか言うてはりますけど、いったい・・・。

スポーツで思い出したけど、この3連休は大人数で那須の貸し別荘に2泊した。初日の夜は卓球大会。球技が苦手な私は、1回戦で惨敗(その時の対戦相手Tが優勝)。でも、みんなで料理したり、温泉入ったり、動物と戯れたり、牧場に行ったりして贅沢な時間を過ごせて大満足

2008.09.17 :: 思い出巡り

先日の川房会で、アメリカに赴任した夫と一緒に、幼子2人(下の子はいい子だったが、上の子は相当やんちゃやったとの事)を連れて渡米したまだ20代の末娘のことを思って祖母が自宅前の海を見ながら「この海の向こうに、○和子(母)がいる。うぅぅ」としょっちゅう涙していたという話題が出た。今と違って、インターネットもないし、メールもないし、日本人もまだ少なかったし、特に田舎の港町に住む祖母にとっては、アメリカは遠い遠い国やったに違いない。

で、ふと、Google Mapのストリートビュー機能が出てから、まだアメリカ時代の街を見ていなかったことを思い出した。というわけで、見てみた。やはり、物心付く事に住んでいた街やし、簡単に行けない場所にあるからか、物凄い思い入れが強い。

帰国したのは24年前。でも、我ながらよく覚えていた。住んでいたビルから小学校までの道とか、よく連れて行ってもらった公園までの道のりを。あの当時と殆ど変わってへんように見えた。保育園に行きたがらない私を「帰って来たら、バナナを上げるから行きなさい」と食べ物で釣っていた話を聞いた事があるが、その保育園もあった。母が「Coffe」を注文したくて、一生懸命「コーフィー」と言ってるのに店員さんになかなか通じなかったバーガーキング(正解は「カーフィ」)もまだあった。学校に電動鉛筆削りを自慢しに持って行ってFred君に「僕の鉛筆削ってくれる?」って言われて「いいわよ」っつって、自分の電動のじゃなくて教室備え付けの鉛筆削りで削って「はい、どうぞ」と渡したという今だに忘れられない私の性悪エピソードの舞台となった小学校もまだあった(Fred、ごめんなさい。私は今だに反省しています)。アメリカ合衆国の歴代大統領を覚えられた数人の生徒だけが(含む私♪)、ご褒美で連れて行って貰えたピザ屋も健在。あー懐かしい。

でも、かつての景色を見て思ったのが、旅行で自ら進んで外国に行くならまだしも、結婚した相手の仕事の都合で友達もいない、今のようにネットで同じ境遇のご近所さんと知り合える環境もない中、人種差別と戦いながら、それでも明るくハイテンションでアメリカという国で子育てをしてくれた母親に感謝だ。もちろん、アメリカのビジネス社会で揉まれつつ、家族を養って(もちろん子育ても)くれた父親にも感謝だ。

上:小学校
下:住んでいたマンション


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2008.09.11 :: プチ川房会



何年ぶりやろ、このメンバーが揃うのは。13年前の祖父のお葬式で揃ったのが最後かな?昨日は、プチ川房会の集まりがあった。祖父の名前は川上房○。祖父の4人娘とそのダンナや子供などの親族が集まることを、「川房会をする」と誰かが言い出して、もう定着している。そして、その孫世代が集まることを「プチ川房会をする」という。先月、旦那さんの転勤について来た新婚の従妹A子ちゃんと川房会を開催した。今日は、4年前から東京に仕事で来てその後結婚した従姉のK代ちゃんと、大阪から夏休みを利用して東京に来たK代ちゃんの妹のEちゃんと4人(孫は全員で9人)でプチ川房会をした。

昔、三重の超田舎の小さな港町にある祖父母の家の前のドブで蟹を取って遊んだ事や、K代ちゃんと従兄のM君が亀の取り合いをキッカケに、その後犬猿の仲になっていたことや、祖父が亡くなった際に、お線香の日を朝まで絶やさないように、いとこ9人が順番でお線香の番をしたことや、祖父が亡くなった次のお盆にはその地方の風習に倣って9時間(だっけ?)耐久盆踊りを踊った時にA子ちゃんのお姉ちゃんが最後は物凄いヤケクソになっていた事など、他愛もない話を関西弁を炸裂させながら盛り上がった。

孫の中では一番年下やった我が弟のMヒロも、来年で三十路に突入する(この間まで姉の後ろをチョロチョロ走りまわっていた気がするのに、信じられへーん)。田舎で一人で暮らす祖母ももうええ年。次に集まるのが、不幸の時、というのは絶対に嫌なので、来年中に絶対に川房会旅行をやろう、という話になった。その時は、祖母のひ孫8人にも参加してもらいたい。

私の相方(結局この呼び方に戻った)の親族も、結束が固い。お正月には、かなり大勢の親族が集まって、新しい年を迎えられたことを皆で祝う。私も今年、デビューした。来年は、相方が川房会にデビューする。うっしっし。

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shizuco

shizuco

11月17日生まれ☆さそり座A型
【趣味】
バンド(Tb担当)☆スキー
☆アウトドア料理
【資格】
インテリア・コーディネーター(相談受付中)
英語関連資格を2つ
自動車関連資格を1つ
【好きな言葉】
ありがとう

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